2012年2月26日日曜日
PALAU2
パラオの風景第二弾。ガラスマオの滝。
高さは10メートルくらいだろうか、流水量もそれほど多くなく幅広の滝口の穏やかな滝。下から見上げるときらきらと光の粒子が降ってくる。マイナスイオンと虹に包まれてファンシーな気分になる。
2012年2月20日月曜日
PALAU
去年初めて海外へ行った。
南国パラオ。日本人にあまり知られていない国だが、戦時中日本の占領下にあった小さな島国だ。とにかく海が透き通っていて青い。空も青い。こんなにまぶしく透き通った青は日本では見たことがなかった。
2012年2月14日火曜日
クリスマスカード
2010年版と2011年版。
2011年11月にカナダのホワイトホースというところにオーロラを見に行ったのだが、-39°Cの極寒に耐えたにもかかわらず残念ながら見ることは出来なかった。なんと不運なり。
バドミントン
僕にとってバドミントンは生活の一部というか、今まで肉体的にも精神的に大きく成長させてくれた非常に大切なもの。僕の友人の8割はバドミントンを通して知り合った。中学校でバドミントンの基礎を学び、高校で新たなバドミントンに出会い、浪人中もバドミントンで息抜きをし、大学でバドミントンというものを教え広めた。今現在も社会人チームに所属している。でも、今は前ほどバドミントンに入れ込むことは出来ないかな。
架空のバドミントンショップのイメージアップポスター。バドミントンのラリーをグラフィックにしてみた。同じラリーの動きを横から見た図と上から見た図。
SAVE NATURAL SCENERY IN JAPAN
「月湖」
「林光」
展示用に作った作品。日本の自然の風景を守ろうというポスターだが、表現専攻型の目的後付けの作品。
月と湖の冷たく澄み渡った感じ。心静かにもの思いにふける感じ。
車や電車などで田舎道などを通る時、よく杉林を横切ることがあるが、林の隙間から漏れるストライプ状の光と杉のラインががチラチラチラと交錯し、心地よく感じる。
そういう感じ。
四季巡りカレンダー
展示用に作った作品。冬から春にかけても繋がります。
一年間を「春・夏・秋・冬」という季節に分けるということはいつ誰によって定められたことなのか知らないが、地球が太陽の周りを一周するのを一年として、その周期を4等分することは、人にとって時間の流れを理解するのに都合良い。しかし厳密に言えば地球が太陽の周りを回っている限り、季節は一分一秒止まることなく変わり続けているわけで、無限のグラデーションを経て春から夏、秋から冬へと移り変わって行く。そんな整然たる宇宙の営みに、人はある程度区切りをつけることで時の流れというものを認識し、ある瞬間の記憶を、過去から未来へと続く時の流れの中の一部分として位置づけるのだろう。
SAKURANE2010
僕の高校時代はバドミントンが中心だった。ただひたすらバドミントンにあけくれた。
バドミントン部はとても居心地が良かった。部活が休みの日も先輩のうちにおじゃまして遊んだり、試合帰りに浜辺でふざけあったり、部活後に水浴びをしたり、とにかく楽しかった。部活引退後もこのメンバーと繋がっていたいと望んでいた。僕は部活引退後、先輩に「皆で旅行に行きませんか?」と提案した。
その一言がきっかけで始まったSAKURANEは一つ上のY先輩率いる桜丘高校バドミントン部員の世代を超えて繋がりあう一種のOB会のようなものに発展した。ことあるごとに集まりよく遊んだ。そして毎年、もしくは隔年で20人位の規模でイベント旅行を実施し、その様子をビデオカメラで撮影、編集してテレビ番組のように仕立てる。それをDVDに焼き、上映会を開いて参加者全員に配るのだ。
しかし2010年の旅行を最後にSAKURANEは最終回を迎えてしまった。皆これから社会に出て忙しくなるし。。という理由だ。旅行は実施されたが、その映像は本格的なテレビカメラを使用したアナログのもので、画質は良いがアナログデータをデジタルデータに置き換える作業が重すぎて、結果編集不可能という事態に陥り、2012年現在、その旅行の映像はお蔵入りとなっている。
B5フライヤーとして制作したが、上映会のときにA1サイズに作り直して貼る予定だったポスター 。
SAKURANEは僕の青春の代名詞
バドミントン部はとても居心地が良かった。部活が休みの日も先輩のうちにおじゃまして遊んだり、試合帰りに浜辺でふざけあったり、部活後に水浴びをしたり、とにかく楽しかった。部活引退後もこのメンバーと繋がっていたいと望んでいた。僕は部活引退後、先輩に「皆で旅行に行きませんか?」と提案した。
その一言がきっかけで始まったSAKURANEは一つ上のY先輩率いる桜丘高校バドミントン部員の世代を超えて繋がりあう一種のOB会のようなものに発展した。ことあるごとに集まりよく遊んだ。そして毎年、もしくは隔年で20人位の規模でイベント旅行を実施し、その様子をビデオカメラで撮影、編集してテレビ番組のように仕立てる。それをDVDに焼き、上映会を開いて参加者全員に配るのだ。
しかし2010年の旅行を最後にSAKURANEは最終回を迎えてしまった。皆これから社会に出て忙しくなるし。。という理由だ。旅行は実施されたが、その映像は本格的なテレビカメラを使用したアナログのもので、画質は良いがアナログデータをデジタルデータに置き換える作業が重すぎて、結果編集不可能という事態に陥り、2012年現在、その旅行の映像はお蔵入りとなっている。
B5フライヤーとして制作したが、上映会のときにA1サイズに作り直して貼る予定だったポスター 。
SAKURANEは僕の青春の代名詞
花火
展示用に作った作品。
昔、団地の5階に住んでいたとき、夏になるとベランダからみなとみらい付近のビルの狭間に上がる花火がよく見えた。ベランダに椅子を持って来てサイダーなんか片手に座り、夏の雰囲気を楽しんだものだ。同じ団地に住む友達とベランダ越しに大声で会話したり手を振ったり、ランドマークタワーを定規代わりに花火の上がる高さを比べてみたり。花火があがるまでの間隔が長いともう終わりかとハラハラし、終わったかと思うとまた上がったりする。花火がフィナーレを迎えると空が明るくなるほど大量の花火が上がり、団地全体から感嘆の声が漏れる。
日食
「幻光」シリーズ
2009年7月22日、奄美大島、屋久島で皆既日食が見られるということで、奄美大島まで行く予定だったのだが、何故か間違えて沖縄へ。沖縄名護市から日食を観測したのだが、残念ながら太陽は月に完全に隠れてしまうことはなく、真っ暗にならなかった。太陽が三日月状になり、うっすら暗くなり、気温も下がったが、皆既日食の「昼間なのに真っ暗」という醍醐味を味わうことは出来なかった。
そして丁度日食が起こったその日、大学4年生前期に作ったこの作品達の講評日だった。僕はあらかじめこの日、皆既日食を見に行くことを先生に告げ、沖縄に来ていたのでこの作品の評価を先生から直接聞くことはなかった。
僕はこの日に日食が起こることを作品を作る前から知っていたわけではない。純粋にこういう作品が作りたいと作りはじめただけで、偶然この作品の講評日と皆既日食の日が重なってしまったわけだ。 なんてこった。
月
グラデーションを使った初の作品。「紅月」
地平線近くにある赤く怪しい月を表現したかった。
ずっと月の光に興味があって、大学3年の時、佐藤晃一先生との出会いもあって、ようやくある思いが形に出来た瞬間。
この作品が出来るまでの道のりは長く険しいものがあった。
「青月」
「翠月」
「乳月」
「玄月」
月の作品から僕のグラデーションの研究が始まった。
どの色の組合わせが美しいのか、明度、彩度 、色相のことを感覚的に再理解する作業。
月の作品から3年が経ったが、もうしばらくはグラデーションの研究は続けようと思う。
2012年2月13日月曜日
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