2012年12月3日月曜日

GICLEE掛軸



少し早いですが、我慢出来ないので告知します。2013年2月22日から27日まで原宿ペーターズギャラリーにてGICLEE(ジークレー)掛軸展やります。極彩色コラージュ、ポップアートを得意とする神田智哉君とやります。ギャラリーHP→http://www.paters.co.jp/

掛軸は飛鳥時代より仏画として中国から伝わり、茶道とともに発展し、やがて花鳥風月など日本の四季折々の風景が描かれるようになった。一枚の絵を気軽に床の間を飾ることができ、軸があるおかげで風になびくことがなく(軸の両端に重しをつける場合もあるらしい)、丸めて収納出来る。季節や時間帯によって違う絵を掛けかえたりしていたようだ。
江戸時代には気軽に床の間を飾る芸術品としてその地位が確立されていた。いかにも日本人らしい、美意識を反映している媒体だ。少なくとも太平洋戦争が始まるまでは、割と大衆に身近な存在だった。

今の時代、「掛軸」と聞いてどんな印象を受けるだろうか?
少し色あせた、古くさいような印象を受けるかもしれない。
いまや掛軸の需要はおそらくほとんどないだろう。一部のお金持ちか、骨董品好きなじいさんが好き好んで買うのみかもしれない。古代飛鳥時代より1400年近くも受け継いできた、日本の掛軸文化も現代社会にあっては風前の灯である。現代人はのんびり掛軸を眺めている精神的余裕なんてないのかもしれない。その前に飾る場所がない。床の間がない。
戦後の合理主義社会の波に日本の美意識はのまれてしまったのか。。

今回の展示はインクジェットプリンター出力によるグラフィック作品で、伝統的な表具様式を用いてはいない、新しいスタイルの掛軸展である。

忘れてはならない日本人としての美意識を「掛軸」というフォーマットに託したのだ。

2012年10月14日日曜日

寿



結婚式二次会のチラシ作成を頼まれた。敬愛する某Y本先輩がついに結婚してしまった。アクセルにはブレーキが必要ですね(笑)お二人ともお幸せに。

表面は1964年の東京オリンピックのポスターっぽくしてほしいという注文があり、構図を真似た。ギリギリ、文字が読めるか読めないかの境目をねらった作品。

2012年9月12日水曜日

自画像


何年ぶりかの自画像。自分の顔だから、じっくり観察してじっくり描けるからいい。モチーフは心理的にも物理的にも近い方が描きやすい。

絵のセンスって何だろうか?
形の正確さ、描き込みのバランス感覚、色彩のバランス感覚、クロッキー力。
バドミントンのセンスって何だろうか?
ショットの正確さ、打ち分けのバランス感覚、緩急のつけ方の的確さ、動きのスピード。
 
スポーツと美術には共通点があったりする。

2012年6月3日日曜日

A-TOYS


幼なじみの友人が兄弟で玩具店を経営している。
上永谷にある、野庭ショッピングセンター内のA-TOYSというお店だ。
インターネットで主に商品を扱っているらしい。
→A-TOYSホームページ
僕も何度かお店におじゃました。
中古を多く取り扱う玩具店で、人気の品揃え豊富、マニア向け商品が多い。

昔から彼の家に遊びにいくと、いろんなおもちゃがあって、
おもちゃ好きの僕には最高の遊び場だった。
兄弟3人そろっておもちゃに興味があるから、
ついにおもちゃ屋になってしまったとさ。

そのお店のロゴや、ポスターなどを作った。
僕にしては珍しく、ポップな表現に挑戦してみた。

2012年4月18日水曜日

ウェルカムボード


通算5枚目のウェルカムボード。めでたや
手描きの場合、写真撮影したものをパソコンの画面で見るよりも実物の方が断然いい。
パソコンで描いた場合、出力または印刷した物よりパソコン画面で見た方がきれいな場合もある。
世の中デジタル化が進むが、アナログ的な物の見方を忘れてはいけない。
人間も自然も宇宙も、すべてが無限の情報を含んだアナログ世界なのだ。

2012年2月26日日曜日

PALAU2


パラオの風景第二弾。ガラスマオの滝。
高さは10メートルくらいだろうか、流水量もそれほど多くなく幅広の滝口の穏やかな滝。下から見上げるときらきらと光の粒子が降ってくる。マイナスイオンと虹に包まれてファンシーな気分になる。

2012年2月20日月曜日

PALAU


去年初めて海外へ行った。
南国パラオ。日本人にあまり知られていない国だが、戦時中日本の占領下にあった小さな島国だ。とにかく海が透き通っていて青い。空も青い。こんなにまぶしく透き通った青は日本では見たことがなかった。

2012年2月14日火曜日

クリスマスカード



2010年版と2011年版。

2011年11月にカナダのホワイトホースというところにオーロラを見に行ったのだが、-39°Cの極寒に耐えたにもかかわらず残念ながら見ることは出来なかった。なんと不運なり。

バドミントン

僕にとってバドミントンは生活の一部というか、今まで肉体的にも精神的に大きく成長させてくれた非常に大切なもの。僕の友人の8割はバドミントンを通して知り合った。中学校でバドミントンの基礎を学び、高校で新たなバドミントンに出会い、浪人中もバドミントンで息抜きをし、大学でバドミントンというものを教え広めた。今現在も社会人チームに所属している。でも、今は前ほどバドミントンに入れ込むことは出来ないかな。



架空のバドミントンショップのイメージアップポスター。バドミントンのラリーをグラフィックにしてみた。同じラリーの動きを横から見た図と上から見た図。

LIGHT DELIGHT



2011年6月に横浜のみなとみらいギャラリーで行ったグラフィックアート展のDM。
たくさんの人が見に来てくれました。

SAVE NATURAL SCENERY IN JAPAN

「月湖」


「林光」


展示用に作った作品。日本の自然の風景を守ろうというポスターだが、表現専攻型の目的後付けの作品。

月と湖の冷たく澄み渡った感じ。心静かにもの思いにふける感じ。

車や電車などで田舎道などを通る時、よく杉林を横切ることがあるが、林の隙間から漏れるストライプ状の光と杉のラインががチラチラチラと交錯し、心地よく感じる。

そういう感じ。

四季巡りカレンダー






展示用に作った作品。冬から春にかけても繋がります。

一年間を「春・夏・秋・冬」という季節に分けるということはいつ誰によって定められたことなのか知らないが、地球が太陽の周りを一周するのを一年として、その周期を4等分することは、人にとって時間の流れを理解するのに都合良い。しかし厳密に言えば地球が太陽の周りを回っている限り、季節は一分一秒止まることなく変わり続けているわけで、無限のグラデーションを経て春から夏、秋から冬へと移り変わって行く。そんな整然たる宇宙の営みに、人はある程度区切りをつけることで時の流れというものを認識し、ある瞬間の記憶を、過去から未来へと続く時の流れの中の一部分として位置づけるのだろう。

SAKURANE2010

僕の高校時代はバドミントンが中心だった。ただひたすらバドミントンにあけくれた。
バドミントン部はとても居心地が良かった。部活が休みの日も先輩のうちにおじゃまして遊んだり、試合帰りに浜辺でふざけあったり、部活後に水浴びをしたり、とにかく楽しかった。部活引退後もこのメンバーと繋がっていたいと望んでいた。僕は部活引退後、先輩に「皆で旅行に行きませんか?」と提案した。

その一言がきっかけで始まったSAKURANEは一つ上のY先輩率いる桜丘高校バドミントン部員の世代を超えて繋がりあう一種のOB会のようなものに発展した。ことあるごとに集まりよく遊んだ。そして毎年、もしくは隔年で20人位の規模でイベント旅行を実施し、その様子をビデオカメラで撮影、編集してテレビ番組のように仕立てる。それをDVDに焼き、上映会を開いて参加者全員に配るのだ。

しかし2010年の旅行を最後にSAKURANEは最終回を迎えてしまった。皆これから社会に出て忙しくなるし。。という理由だ。旅行は実施されたが、その映像は本格的なテレビカメラを使用したアナログのもので、画質は良いがアナログデータをデジタルデータに置き換える作業が重すぎて、結果編集不可能という事態に陥り、2012年現在、その旅行の映像はお蔵入りとなっている。

B5フライヤーとして制作したが、上映会のときにA1サイズに作り直して貼る予定だったポスター 。

SAKURANEは僕の青春の代名詞

花火




展示用に作った作品。

昔、団地の5階に住んでいたとき、夏になるとベランダからみなとみらい付近のビルの狭間に上がる花火がよく見えた。ベランダに椅子を持って来てサイダーなんか片手に座り、夏の雰囲気を楽しんだものだ。同じ団地に住む友達とベランダ越しに大声で会話したり手を振ったり、ランドマークタワーを定規代わりに花火の上がる高さを比べてみたり。花火があがるまでの間隔が長いともう終わりかとハラハラし、終わったかと思うとまた上がったりする。花火がフィナーレを迎えると空が明るくなるほど大量の花火が上がり、団地全体から感嘆の声が漏れる。

卒業制作















学生生活での集大成。グラデーション、箔を用いて日本の季節の風物詩をデザインした2010年の掛け軸型カレンダー。卒業制作がグラフィックアーティストへのスタートだ!

日食



「幻光」シリーズ



2009年7月22日、奄美大島、屋久島で皆既日食が見られるということで、奄美大島まで行く予定だったのだが、何故か間違えて沖縄へ。沖縄名護市から日食を観測したのだが、残念ながら太陽は月に完全に隠れてしまうことはなく、真っ暗にならなかった。太陽が三日月状になり、うっすら暗くなり、気温も下がったが、皆既日食の「昼間なのに真っ暗」という醍醐味を味わうことは出来なかった。

そして丁度日食が起こったその日、大学4年生前期に作ったこの作品達の講評日だった。僕はあらかじめこの日、皆既日食を見に行くことを先生に告げ、沖縄に来ていたのでこの作品の評価を先生から直接聞くことはなかった。
僕はこの日に日食が起こることを作品を作る前から知っていたわけではない。純粋にこういう作品が作りたいと作りはじめただけで、偶然この作品の講評日と皆既日食の日が重なってしまったわけだ。 なんてこった。

 グラデーションを使った初の作品。「紅月」
地平線近くにある赤く怪しい月を表現したかった。
ずっと月の光に興味があって、大学3年の時、佐藤晃一先生との出会いもあって、ようやくある思いが形に出来た瞬間。
 この作品が出来るまでの道のりは長く険しいものがあった。

「青月」

 「翠月」

 「乳月」

「玄月」



月の作品から僕のグラデーションの研究が始まった。
どの色の組合わせが美しいのか、明度、彩度 、色相のことを感覚的に再理解する作業。
月の作品から3年が経ったが、もうしばらくはグラデーションの研究は続けようと思う。

2012年2月13日月曜日